大判例

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大津地方裁判所長浜支部 昭和46年(わ)39号 判決 1972年1月25日

被告人 今井正蔵

大二・二・一生 無職

主文

被告人を懲役一〇月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、滋賀県東浅井郡湖北町所在旧朝日村農業協同組合(現、湖北町農業協同組合朝日支所)発行の貯金払戻受領証用紙を利用して同受領証を偽造行使し、もつて金品を騙取しようと企て、昭和四三年二月下旬ごろ朝日村農業協同組合窓口において、同組合と取引のある坂井実之輔口座(コード番号六〇五号)の貯金払戻受領証用紙綴一冊を受領したうえ、

一、同年三月三〇日ごろ、同郡同町大字海老江二二〇番地の自宅において、行使の目的をもつて前記貯金払戻受領証用紙一葉の金額欄に「壱万参千円也」、日付欄に「43・3・28」、振出人欄に「海老江 坂井実之助」とボールペンで各記入し、その名下に有合わせの「坂井」なる認印を押捺して坂井実之助作成名義の貯金払戻受領証一通の偽造を完成し、そのころ、同郡同町大字速水一、〇五八番地金物商角川茂夫方において、同人に対し右偽造にかかる貯金払戻受領証を真正に成立したもののごとく装つて提出行使し、同人をしてその旨誤信させ、よつてその場で同人から買物名下に普通両刃鋸外一点(価額合計一、三〇〇円)およびつり銭現金一一、七〇〇円の交付を受けてこれを騙取し、

二、昭和四四年一二月二三日ごろ、自宅において、行使の目的をもつて同様の方法を弄し金額欄に「八千五百円也」、日付欄に「44・12・21」、振出人欄に「海老江 坂井寅之助」と各記入し、その名下に前同認印を押捺して坂井寅之助作成名義の貯金払戻受領証一通の偽造を完成し、そのころ、同郡虎姫町大字大寺一、〇二五番地日用品販売商北川経夫方において、同人に対し右偽造にかかる貯金払戻受領証を真正に成立したもののごとく装つて提出行使し、同人をしてその旨誤信させ、よつてその場で同人から買物名下に上敷一枚(価額三、〇〇〇円)およびつり銭現金五、五〇〇円の交付を受けてこれを騙取し、

三、昭和四五年一二月二九日ごろ、自宅において、行使の目的をもつて同様の方法を弄し金額欄に「五千五百円也」、日付欄に「45・12・27」、振出人欄に「海老江 坂井寅之助」と各記入し、その名下に前同認印を押捺して坂井寅之助作成名義の貯金払戻受領証一通の偽造を完成し、そのころ、同郡湖北町大字速水一、〇四二番地日用雑貨タバコ小売商川上忠五郎方において、同人に対し右偽造にかかる貯金払戻受領証を真正に成立したもののごとく装つて提出行使し、同人をしてその旨誤信させ、よつてその場で同人から買物名下にタバコ、障子紙、ローソク等(価額合計二、一五〇円)およびつり銭現金三、三五〇円の交付を受けてこれを騙取し、

四、昭和四六年五月一日ごろ、自宅において、行使の目的をもつて同様の方法を弄し金額欄に「五千参百円也」、日付欄に「46・4・29」、振出人欄に「海老江 坂井寅之助」と各記入し、その名下に前同認印を押捺して坂井寅之助作成名義の貯金払戻受領証一通の偽造を完成し、そのころ、同郡同町大字速水一、〇九六番地酒類販売商朝日直平方において、同人に対し右偽造にかかる貯金払戻受領証を真正に成立したもののごとく装つて提出行使し、同人をしてその旨誤信させ、よつてその場で同人から買物名下に清酒、赤玉ポートワイン、カルピス等(価額合計一、四五〇円)およびつり銭現金三、八五〇円の交付を受けてこれを騙取し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

一、1 判示事実のうち各貯金払戻受領証偽造の点が刑法一六二条の有価証券偽造にあたるのか、それとも同法一五九条の有印私文書偽造にあたるかについて考える。

右一六二条の有価証券とは、財産上の権利を表示する証券であつて、その権利の行使・処分のためにその証券の占有を必要とするものをいうと解されている。ところで、有価証券も財産的権利義務に関する文書の一種にほかならないが、有価証券偽造罪が私文書偽造罪とは別にこれよりも重い刑罰をもつて規定されている趣旨は、有価証券なる文書が支払の手段として、あるいは信用供与ないし取引の手段として、あるいは資本調達の用具として、あるいは資産として今日の信用経済社会において重要な機能を果たし、なかには通貨に近い機能をもつものさえあるところから、有価証券なる文書に対する公の信頼をより強く保護しようとするところにあると思われる。そこで、有価証券の前記概念を適用するにあたつても、右の趣旨を十分考慮し、当該文書の果たしている機能を直視して、これを適用すべきである。

さて、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。

すなわち、本件偽造にかかる貯金払戻受領証四通はいずれも旧朝日村農業協同組合(昭和四四年四月一日、朝日村農業協同組合、速水村農業協同組合および小谷村農業協同組合が合併して湖北町農業協同組合となつた。)が発行した貯金払戻受領証用紙を利用して作成されたものである。右用紙は五〇枚が綴られて一冊となつており、貯金者の請求により朝日村農業協同組合がこれを交付していた。右用紙は本体と控から成つており、本体は横一四・五センチメートル、縦一〇・五センチメートル、控は横四・六センチメートル、縦一〇・五センチメートルあり、本体には発行番号を書く欄があつて、その次に貯金払戻受領証と印刷されており、金額を書きこむ欄の次に「右金員正に受領致しました前記払戻を受けたる金額は追て貯金通帳を持参し記入を受けます」と印刷され、その次に年月日、住所、氏名を書く欄があつて、朝日村農業協同組合御中と印刷され、その次に受領証持参人の住所、氏名を書く欄があつて、末尾に「本組合の発行にかかる本受領証用紙を使用し、本組合に対し貯金の払戻を請求した時は、本組合は民法四八〇条によりその持参人の何人たるを問わず正当受領権限あるものとみなします」などの注意事項が印刷されている。他方、控の方は振出年月日欄、金額欄、渡先欄が設けられていて、それぞれ書き入れるようになつている。朝日村農業協同組合ではそれぞれの貯金者にコード番号をつけておき、貯金者より貯金払戻受領証用紙の請求があつた場合には、五〇枚の受領証用紙にコード番号を一枚づつ押印し、かつ、<組>の印も押印したうえ、これを貯金者へ交付する。朝日村においては、農業協同組合の貯金者が現金を交付することなく代金の支払ができ、また小切手のように利子のつかない当座預金をしなくても利子のつく普通預金から支払うことができるという便宜のために、本件犯行時よりはるかに以前から農業協同組合や商店等において右組合の発行にかかる用紙をもつて作成された貯金払戻受領証を小切手と同じように取り扱い、貯金者が商店等において購入した商品の代金を支払うにあたり、現金にかえて貯金払戻受領証を交付し、商店等はこれを農業協同組合へ持参し、同組合は右受領証の作成者である貯金者の普通貯金から右受領証に記載されている金員を右持参人へ支払うという取り扱いがされていた。右取り扱いは次第に周辺の市町村へも広がつて行き、本件犯行当時においては湖北町(朝日村は昭和三一年九月に速水村、小谷村と合併して湖北町になつていた。)はもとより、長浜市の商店、さらには金融機関においても貯金払戻受領証を小切手と同様のものとして取り扱うようになつていた。そして、湖北町の住民は貯金払戻受領証のことを小切手と呼んでいた。判示二の事実にかかる貯金払戻受領証は北川経夫より細川器物株式会社長浜支店へ、同支店から大垣共立銀行長浜支店へ、同支店から滋賀県信用農業協同組合連合会長浜支所へ順次交付され、同支所より湖北町農業協同組合へ取立の請求がされたものである。前記のとおり朝日村農業協同組合は昭和四四年四月一日に合併により湖北町農業協同組合となつたものであり、貯金払戻受領証用紙も貯金払戻請求書用紙とかわり、そこに印刷されている文言も「右の金額をこの貯金払戻請求書と引換に持参人に御支払下さい」とかわつたが、旧朝日村農業協同組合発行にかかる貯金払戻受領書用紙もいぜんとして併用されていた。

以上の事実が認められる。右認定の事実にもとづいて考えるに、貯金払戻受領証の文言自体は、いわゆる証明文書たる受領証としての色彩を強くもつていると考えられるが、領収証としては必ずしも必要とは思われないコード番号が押印されていたり、受領証作成者の住所、氏名欄とは別に持参人の住所、氏名欄が設けられているなど証明文書たる領収証としての色彩以外の色彩をももつているといわなければならない。そして、貯金払戻受領証が現実に果たしていた機能、すなわち、農業協同組合の貯金者が商品買入代金等を支払うにあたり、現金の交付に代えて右受領証を交付し、その交付を受けた者は現金化したい場合にはこれを農業協同組合へ持参し、そうでない場合にはさらに現金の支払に代えてこれを交付していたことを直視すれば、貯金払戻受領証は小切手に類似するものとして利用されていたとみるべきである。すなわち、貯金払戻受領証は、その文言上もつ証明文書たる領収証としての色彩(それ以外の色彩をももつことは右に述べたとおりである。)にもかかわらず、現実には、信用取引における支払手段として機能していたものであり、それは信用購買(取引)をしうる法的利益(権利)を表彰し、この権利を行使するには貯金払戻受領証の占有を必要とするとみることができるのであつて、右受領証は、刑法一六二条にいわゆる有価証券と考えるのが相当である。もつとも、ここで注意しなければならないのは、それが湖北町およびその周辺の市町村内において小切手類似の信用取引における支払手段として機能していたという点であるが、このように地域的に制限されていたとはいえ、右程度の地域において、しかも同地域内の金融機関においてすら信用取引の支払手段として承認されるに至つた場合には、これに対する公の信頼を一般の私文書と区別してより強く保護する必要が認められるのであつて、貯金払戻受領証をいわゆる有価証券とみることに障害となるものではない。

してみれば、判示事実のうち各貯金払戻受領証偽造の点は、いずれも刑法一六二条一項に該当する。

2 判示事実のうち偽造にかかる各貯金払戻受領証行使の点は、いずれも刑法一六三条一項に該当する。

3 判示事実のうち角川茂夫、北川経夫、川上忠五郎および朝日直平からそれぞれ現金等を騙取した点は、いずれも刑法二四六条一項に該当する。

二、各有価証券偽造と各同行使と各詐欺はいずれも順次牽連犯につき、刑法五四条一項後段、一〇条(いずれも、各偽造有価証券行使罪の刑をもつて処断する。)

三、併合罪につき、刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(判示一の事実にかかる偽造有価証券行使罪の刑に法定の加重をする。)

四、刑の執行猶予につき、刑法二五条一項一号

五、訴訟費用の負担につき、刑事訴訟法一八一条一項本文

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